当社が、長野市信州新町の山間部の山頂付近に休耕地を開拓し、各種農産物を実験的に植えて栽培する農場および将来はキャンプ場、ログハウス、アスレチックなど
参加する仲間たちの意見で
「子どもたちもきて、楽しめる場所に」
「子どもたちが、”はらっぱ”行こうよ」
と覚えてもらいやすいよう名付けた場所です。
ここで育った野菜も、当社加工場にてふるさと便に詰めて贈ります。
北信濃(北信州ともいい長野県北部の事)は、童謡・唱歌、伝統と民話・アート&グルメの宝庫です。
北信濃は江戸(東京)から遠く離れたうらぶれた雪深い深山、渓谷で、“きつねどん”や“たぬきどん”といった、日本昔話に出てくる様な山里中の山里が連想されます。
現在は高速交通網やメディア等の社会基盤の整備が進み、都市との格差が無くなりつつあります。しかし、そこに住む人々は良き伝統や食文化を連綿と受け継いでおり、農薬を使わず、化学肥料も使用しない自然由来にこだわった農業を守り通しております。
複雑な地形故に少量多品目の物、品揃えが難しく常に一律という訳にはいかない等の問題点があります。ご理解の上、ご用命を賜りますようお願い申し上げます。
「かあさんは夜なべをして手袋編んでくれた」と歌われたこの歌は、窪田聡さんの作詞作曲です。窪田さんは、両親が現在の長野市信州新町の出身であったため、昭和19年の夏、叔父宅に疎開し約一年間をこの山間の町で過ごしました。
『かあさんの歌』は昭和31年に作られ、「うたごえ新聞」に楽譜が掲載されました。両親、特に母親の心情は人間の原点ともいえ、多くの人が『かあさんの歌』を懐かしく感じ今なお歌いつがれている所以でしょう。
「生まれ育ったふるさとと美しい風景や思い出、父母、友達、そしていつの日か自分の夢をかなえて故郷に帰りたい」そんな思いを歌った『故郷』。
この歌を作詞した高野辰之さんは、現在の長野県中野市豊田に生まれました。この地は、「うさぎ追いしかの山」と歌いだされるこの歌の原風景そのものです。高野さんは23歳の時上京します。28歳の頃遠く離れた東京で、自然豊かな「故郷」を思い浮かべて書いた詩に曲がついたのが、今では誰もが口ずさむことができる日本人の愛唱歌『故郷』です。
当社の社員は、栽培期間中農薬を一切使用せず野菜や原木シイタケ栽培をする等、個々に農業に取組み、『「地域の元気づくり」に貢献したい』という思いや情熱をもっています。そうした社員と共に、荒廃農地の復元、整備を行い、認定農業法人として長野市西山の中山間地、信州新町の特産の小梅栽培や黄カラー(花)の栽培に取り組んでいます。